ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(ブレイディみかこ)

一生モノの課題図書という帯を見て気になっていた1冊。ノンフィクションの作品を読むことはほぼ始めてだったのでそういう意味でも楽しみだった。内容はイギリスに住む日本人の母(筆者)とアイルランド人の父とその息子の話。ノンフィクション作品ということで、実際に家族の周辺で起こった事、そのときの筆者が感じたことが淡々と書いてある、という感じ。「多様性」のある社会、「多様性」を認め合う社会は現代社会の1つのテーマであると思う。そのテーマについての文章というと、普通はデータ等を用いながらどのような状況なのかをマクロ的な分析をしているモノや、理想的な社会について語られているモノが多いように思うが、この本はそうではない。ノンフィクション作品ということで、実際に家族の周辺で起こった事、そのときの筆者が感じたことが淡々と書いてある。読みながら、その筆者の体験を追体験しているような気分になる。そして、その体験1つ1つがとても考えさせられる内容となっている。1冊の中で、1つの考え方や理論を提供される、というパターンの学びしかしてこなかったが、ある1家族の身の回りに絞り込み、読者に「こんなときどうする?」と投げかけてくるパターンもあるのだなと勉強になった。

イギリスがどんな社会か読むまでは全然知らなかったが、移民などの人種の多様さ、固定されつつある貧富の差、EU残留派と離脱派、宗教の違いなど、少なくとも日本より入り組んだ社会であるように思える。そんな社会の中、日本の血が入った息子もマイノリティの1人。日々の暮らしの中で、壁にぶつかり、悩み、乗り越えようとする様子は引き込まれるものがある。そして息子が悩みを抱えるたび、その問題に対する答えを自分は持っているのか?と考えさせられる。

「多様性」を認める社会になろう、という標語は間違ってはいないと思うし、マイノリティでも堂々と生きていける世界になるべきなのは間違いない。しかし、この本を読んで最も強く感じたのは、社会に「多様性」がもたらされることは、いろんな立場の人が社会に共存することであり、その分社会は複雑になっていくということだ。100種類の人がいれば100種類のベストがあり、誰かにとってのベストは他の人にとってはベストではない。ある人にとって正しいことが、ある人にとってそうではないとき、その2人は共存していけるか?

帯にある「多様性ってやつは、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃない方が楽よ」「楽じゃないものが、どうしていいの?」という言葉がかなり的を射ているように思う。人類全体で考えていかなければならない問いだと思う。少なくともこの本が結構な人に読まれていることと、この本の息子のように悩みながら向き合っている子供たちがいるということは希望は残されているのかなあ。

この前Twitterアメリカ副大統領の討論会で読まれた中学生の質問が話題となっていた。「国民には1つになろうと呼びかけるのに、政治の世界では共和党民主党が争い、今日この番組でも2人は言い争っている。まずは政治家たちが寄り添わないのにどうして国民が1つになれると思うの?」という内容だった。まず対立や議論あってこその政治だとは思うが、自分にはない視点だったのでハッとした。副大統領候補のアンサーを聞き取る英語力がないことが悔やまれるが、この本の内容とリンクしている気がするので書いておく。