辞書を編む(飯間浩明)

少し前に読んだ「機械の言葉〜」で人間の言葉が想像以上に複雑なことがわかった。その中に、言葉による言葉の説明が意味を持つのは、言葉なしにいくつかの言葉の意味を理解している時だけであって、それを持たない機械に言葉の意味を理解させることは難しい、というような記述があった。その本を読んでいるくらいのときに ”昔講義で、「恋」の語釈が「異性を親しく思う気持ち〜」となっていてヘンに思いませんか?と言ったら学生は笑っていたが、今は学生の方から「異性とは限らないですよね?」と指摘がくる。時代は変わるものだ。”というようなツイートを見て、言葉の意味を言葉で説明している辞書に興味を持ち、この本を購入。

国語辞典は中学のとき以来触ってない気もするが、あの辞書を作るのにこれだけの情熱が注がれていたと知って驚いた。それを調べて言葉の意味を理解する訳なので、いい加減なことはかけない。いろんな意味がある言葉の場合どの意味をまとめて載せるか、派生した言葉をどうするか。説明を足しすぎるとかえってわかりにくくなってしまうこともある。新しい使い方が生じれば、それを追加する必要があるし、一過性のもので定着しなさそうなものは省くべきである。それらを踏まえて、掲載する言葉選び、削る言葉選び、用例選び、今まで載っていた言葉の手入れ、そのときに考慮すること、それらの土台となる辞書の大まかな方針の決定など、辞書を作るプロセスを知ってとても勉強になった。その辺りに辞書ごとのこだわりが込められていることも知っていろんな辞書を見てみたくなった。同じ言葉の意味を見比べたりすると確かに面白いかもしれない。そういう時間を学校でとったらいいのに。言葉面白いって思ったかもしれないのに。

特に、「愛」や「恋」にどういう語釈をつけるか、のところはとても興味深かった。言葉というのは何かしらの対象、イメージにつけられるものなので、その「意味」とはその言葉が実際に使われた場面を集め、その例からその言葉が指している対象、持っているイメージを切り出していくしかない。それを過不足なく、時代に合う形で、選び抜いて一冊にまとめる、という辞書編集作業がいかにスゴいことなのか感じられた。(これを著者は「言葉による世界の模型づくり」「言葉だけで世界を構成する」と表現している。)ふだん何気なく使っている言葉の新しい見方を学べて勉強になった。(「ふだん」と「いつも」は同じ?違う?)