現代語訳 論語と算盤(渋沢栄一 訳:守屋淳) 

渋沢栄一は次の1万円札の顔に選ばれ、大河ドラマの主人公にもなった、とてもタイムリーな人物。日本実業界の父と呼ばれており、日本の資本主義と深く関わっていることもあって興味を持ち購入。近代日本の発展に尽力した人物であり、多くの会社や大学の設立に関わっていることでも有名。内容としては本書はその渋沢栄一が1916年に書いた「論語と算盤」を現代語訳したものである。内容を一言でいうと、「資本主義において利潤を追求するだけでなく道徳とも調和しなければならない」ということ。おっ、そんな感じの本読んだことあるぞ…?ここんとこ資本主義のマズさを指摘するような本を何冊か読んで、なるほどなるほどと思ってきた。そこでは「行き過ぎた」資本主義が社会に負の影響をもたらしていることが述べられていた。渋沢栄一は、資本主義が形成されていく段階で資本主義の危うさに気づき、「論語」の教えをその中和剤として組み込もうと考えていたと知り驚いた。

  • ただ、現代において正しいことを行ったならば、人として立派なのだ。
  • 物質文明の進歩が精神の進歩を害した。
  • 心の学問から知識を得るための学問に。ただ学問をするために学問している。「これだという目的がなく、何となく学問をし、実際に社会に出てから「自分は何のために学問してきたのだろう」という疑問に襲われる。
  • 成功とか失敗とかいうことを眼中に置いて、それより大切な「天地の道理」をみていない。
  • 何があっても争いを避けようとすれば善が悪に負けてしまうことになり、正義が行われない。
  • どんな手段を使っても豊かになって地位を得られれば、それが成功だと信じている者すらいるが、私はこのような考え方を決して認めることができない。素晴らしい人格のもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、その結果手にした豊かさや地位でなければ、完全な成功とは言えないのだ。

全体を通して「それは善か?道理にかなっているか?」を意識しながら生きていけ、というメッセージが伝わってくる。(善の例として論語の、忠:良心的であること、信:信頼されること、孝弟:親や年長者を敬うこと、仁:物事を健やかに育むこと、武士道の、廉直:心が綺麗で真っ直ぐなこと、義侠:弱きを助ける心意気、敢為:困難に負けない意思、礼譲:礼儀と譲り合い、などが挙げられている。これら「人の道」であるので全ての人に当てはまる)論語の元になっている孔子も"富が追求するほどの値打ちを持っているものなら、どんな賤しい仕事についても、それを追求しよう。だが、それほどの値打ちを持たないなら、私は自分の好きな道を進みたい"と言っているらしい(これにもびっくり)。渋沢はお金を「良く」使っていくべきことにも言及している。

こうした流れを踏まえ、本の中では「智・情・意」のバランスが重要と紹介されているが、詰まるところ、教育が重要ということに繋がっていく。(渋沢は学校が整備され、みんなが学べるようになった一方で、均質的な教育によって同じような人材を生み出すようになってしまったことについて嘆いている。)本書では「武士道精神」や「精神教育」という言葉も使われているが、一人一人の精神面の鍛錬(人格を磨くこと)の必要性を述べている。そういえば教育の目的は人格の完成だったな。

自分を磨こうとするものは、決して極端に走らず、中庸を失わず、常に穏やかな志を持って進んでいくことを心より希望する。言葉を換えれば、現代において自分を磨くこととは、現実の中での努力と勤勉によって、知恵や道徳を完璧にしていくことなのだ。つまり、精神面の鍛錬に力を入れつつ、知識や見識を磨き上げていくわけだ。しかもそれは自分1人のためばかりではなく、一村一町、大は国家の興隆に貢献するものでなくてはならない。

 

この辺りの記述は現代の教育でも大切にすべき考えのように思う。今の教育は知識を習得させることに偏っていると言わざるを得ない(一応、道徳の教科化かなんかやってはいるけど、それはいじめ防止とかそういう現実的な問題が念頭にあるように思うし、大した変化は起きていいないと思う)。やはり、何が善か?(どう生きるべきか?)という問いは人間の本質なのだろう。新しい(西欧を発展させた)資本主義を取り入れ、その仕組みの上での国の発展させ先進国に追いつけという時代に「利潤と道徳の調和」に思い至っていた渋沢栄一はスゴい。大河ドラマが一層楽しみになった。