里山資本主義(藻谷浩介)

大学のエネルギー問題についての講演で「里山資本主義」という言葉を聞いた。私は田舎の出身で大学を卒業した後は地元に帰ろうと思っているのだが、田舎と都会の格差は顕著でそれをなんとかできないか、と思っていたところだったのですごく興味が湧いた。講演で紹介されていたのは木材のバイオマス利用(森林の環境保全には手入れが必要で、それで出る木屑などを利用して熱エネルギーを得ること、本書でもいくつか例が紹介されている)、農地での太陽光パネル設置(1箇所で作った電気を行き渡らせるよりも、分散して作った方が何かあったときに対応しやすいことが本書でも触れられている)、瀬戸内海の島における活動の紹介(この本でも島での取り組みが紹介されている)などで、田舎は廃れていくしかないのか…と思っていた私にとっては希望を抱かせるような内容であった。そんな流れでこの本を読むことにしたのだが、目からウロコが落ちまくる内容で講演で感じた希望がさらに強化されることとなった。今まで感じていた(そして現実にもそうである)田舎の没落は「マネー資本主義」の枠組みで言うと正しい。都会と同じやり方では都会に勝てないが、都会と違う(マネー資本主義とは違う)仕組みで豊かな暮らしを営んでいける。

里山資本主義」とは、お金の循環が全てを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを構築しておこうという考え方だ。

本で様々な取り組みが紹介されているが、どれも魅力的でこんなふうに生きていきたい、こんな地域を目指したいと感じさせるものばかりであった。特にそこで紹介されている人の(特に高齢の方の)イキイキ度合いは、将来の自分もこうありたいと思わせるものだった。里山資本主義的な取り組みの例だけでなくマネー資本主義のマズさや、日本の経済の現状についても述べられており、その部分も非常に勉強になった。金融政策によるデフレの脱却や輸出に有利な円安を目指すといった主張を当然のように受け入れてきたが、そうではないと主張する著者の意見を読んでハッとした。これからの日本を考えていく上で読むべき一冊であると思う。お金で測れない価値という観点は以前読んだマイケル・サンデルの本とも繋がり、とても興味深かった。

  • 将来の成果のために今を位置付けるのが今の経済。それではいつまでたっても現在が手段になってしまう。
  • 市場なるところで売ってお金と交換しなければならない、という常識にとらわれている人は、お金に換えてしまうと失われてしまう価値があることに気付いていない。
  • 外に出ていたお金が地域を回る。見かけ上経済活動は小さくなるが豊かになっていく。手に入る豊かさとは金銭的なことだけではなく、楽しさや誇りといった副産物が収穫されていく。
  • お金をかけずに手間をかける。お金の力ではなく人間の力(あとは地域の力、地球の力も)。
  • 社会が高齢化するから日本は衰退するという考えはマネー資本主義の枠組みでは正しいかもしれない。しかし、マネー資本主義の限界を自覚しつつある日本が、里山資本主義的な発想を取り入れ、明るい高齢化社会の先頭をいくことができる。
  • 新しいものをどう手に入れるかという「所有価値」から、今あるものをどう使うかという「使用価値」へのシフト。
  • スマートシティもただ便利なだけでない技術、儲け以上に理想が大事で「最先端版里山資本主義」と言える。

田舎が貧しいのは外部からいろんなものを買っているからであり、地域で生産したものを地域で消費する仕組み、すなわち地域で豊かさを循環させる仕組みを作ろうというのが根本的な思想であると理解できた。そうすることで何かあったときのリスクヘッジにもなるし、地域のコミュニティに参加することで人とのつながりもできる。そのような安心感がそこに住む人々の満足感を高める。

日本は災害大国である代わりに豊かな土壌を持つ。とりわけ人口の減少によって余っている田舎の今活用されていない森林や空き家、農作放棄地がその土地の武器になると聞けばなんかやっていけそうな気がしてくる。日本はオワコン的な主張もたまに聞くが、この本を読むとこれからも全然やっていけるように感じる(シン・ニホンのときとは違った形で)。それだけ聞くといいことづくめのようだが、見かけ上経済は縮小してしまうという(マネー資本主義の立場からすると)問題点がある。その部分の発想の転換(あるいはそこに目がけた技術開発)によって金銭的な豊かさだけでない、豊かな暮らしができる日本になるといいなあ。と同時に、昨日読んだ本の残像が残っていたので、そのような活動をしている会社の株は買いなのではないか?と思った。