人新世の「資本論」(斎藤幸平)

里山資本主義のような街づくりに興味を抱いていたところ、著者の斎藤さんがログミーの記事でその路線でいい感じのことを言っているのを見つけ調べてみたところちょうど新刊が出たばかりで、しかも本屋で何冊か気になっていた本のうちの一冊だったことが判明し即購入。非常に内容の濃い本なので網羅的な感想は諦めて資本主義批判のところを中心に書いておく。その部分だけでも勉強になるし、「資本主義からの脱却」という方向性で進んでいく他にないという気持ちにさせてくれる。

タイトルの人新世(ひとしんせい)とは、人類が地球を破壊し尽くす時代(現代社会)のことを指す。資本主義が無限の経済成長(価値の増殖)を望んでいることは以前も書いたが、それにより引き起こされる気候変動による影響は無視できないものになっている。また先進国の豊かな暮らしはグローバル・サウスからの労働力と自然資源の収奪により成り立っている(このグローバル・ノースにおける大量生産・大量消費型の社会を「帝国的生活様式」と呼ぶ)。

そこで著者は晩年のマルクスの思想に活路を見出そうとしている。マルクスといえばソ連や中国の一党独裁とあらゆるモノの国有化というイメージが先行する。また若きマルクスは生産力至上主義者(資本主義の発展→格差の拡大、競争の発生→資本家たちは生産力の向上を目指す、ところが労働者にはその商品を買うだけのお金がない→過剰供給による恐慌の発生→労働者階級による社会主義革命)であった。そしてマルクスは「進歩史観」(資本主義のもとで生産力をどんどん高めていけば、あらゆる問題が解決される。西欧の方が生産力が高いので、他のあらゆる地域も西欧と同じように資本主義によって近代化を進めなければならない「ヨーロッパ中心主義」)の思想家であるという認識が一般的で、エコロジー思想と相容れないということでマルクス主義は衰退してきた。ところが晩年のマルクスはそれらの思想と決別し「脱成長コミュニズム」という西欧資本主義を真に乗り越える構想に至っていた。収奪と負荷の外部化と転嫁によって、グローバル・サウスを犠牲にしながらグローバル・ノースが豊かな生活を享受してきた。資本主義のグローバル化が地球の隅々まで及んだために収奪の対象となるフロンティア(安価な労働力と安価な自然)が消滅、そうした利潤獲得のプロセスが限界に達したために「資本主義の終焉」が謳われるまでになっている。本書はそんな時代を乗り越えるための道を示している。全人類読むべき本。まじでこの本の通りにすべき!!と思ってしまう1冊。

上で述べたように資本主義は人間と自然から掠奪するシステムである。危機が迫る中期待を集める政策プランに「グリーン・ニューディール」(エコな社会に向けた大型財政出動、投資)がある。エコな社会への移行と経済成長を両立させるようなアイデアであるがそれはうまくいかない。(グリーンな技術は、生産過程まで含めるとそれほどエコではない、結局問題を別問題へ転嫁するだけ。技術の進歩は環境負荷を増大する)よって経済成長を諦めなければならない。となると次の問題は資本主義システムを維持したまま脱成長が可能かどうかだが、それも不可能である。資本には際限がない、山火事が起これば火災保険が売れ、バッタが発生すれば農薬が売れる。最後の最後まで利潤獲得の機会を見出していく。環境危機を前にしても資本主義が自ら止まることはない。ということで環境破壊を止めるには資本主義を私たちの手で止め、脱成長型のポスト資本主義に大転換するしかないということになる。

そもそも資本主義のシステムに則って日本はこれだけ発展したのに貧しい人(低賃金、長時間労働、ローンなど)が多い。マクロでの成長によってパイを大きくし、大きくなったパイを再分配する、という仕組みのはずだが、どれだけパイが大きくなれば人々は豊かになるのだろうか?資本主義はGDPの増大を目指してきた、だが万人にとっての繁栄は訪れていない。

とまぁ色々あって資本主義への批判へと到達する。ここまでですでにお腹いっぱいといった感じがする。ここからどのような社会を目指していくべきかという話になっていくが、疲れたので割愛する。ポイントは「コモン」を共同管理し潤沢さを回復すること。(潤沢さは(人工的)希少性が価値になる資本主義の天敵。満たされないという希少性の感覚こそが資本主義の原動力)脱成長コミュニズムの柱①使用価値経済への転換(資本主義社会においては価値の方が重要、売れればよし)②労働時間の短縮(金儲けのためだけの仕事を減らす)③画一的な分業の廃止(労働を退屈なものにしない)④生産過程の民主化(意思決定速度の減速)⑤エッセンシャルワークの重視

これから世界が目指すべき方向性が一気に見えてくる本だった。里山資本主義の本と共通することは本当の豊かさを追求しようということだと思う。そしてそれは「足るを知る」ことだと思う。値段をつけ売買できるようにすること、利益を重視した活動をすることから歪みが生じている部分には市場経済の限界(それをお金で買うか?)とのつながりも感じられ、その部分の理解も深まった気がする。

冒頭の部分でSDGsは現代版民衆のアヘンという言葉がぐさっときた。世界各地で運動が実際に起きているところもある。グレタさんのことも正直小馬鹿にしているところがあったがこの本のおかげで認識を改めることができた。あの子はこの本で紹介されているようなことに気づいていたのだ。これからも人類が存続していけるように多くの人の思考と行動が変わっていくことを望む。

菅新首相が自助という言葉を使ったときに多くの反発の声が聞かれ、これは叩かれても仕方ないかな〜と感じていたが、この本を読んで、現実的にはこれからはコミュニティによる自助(と共助)を目指していかなければならないと思い直した(政権がそこまで考えているかは知らない)。コロナという危機に見舞われた日本は10万円を給付することに多くの時間とお金が費やされる、だが市民もお金を失うと生きていくことができないので待つしかない、利益追求のため工場を海外に移転したためマスクが手に入らないなど、コロナ禍は迫りくる気候危機が到達する前に社会の歪みを露出させてくれたチャンスと捉えないといけない気がしてくる。変わるなら今しかない。