孤独の意味も、女であることの味わいも(三浦瑠麗)

何かのテレビ番組で出ていたのを見て、三浦さんがどのような考えを持っているのか気になっって買ってみた。三浦さんの考え方とそれを形成していった(割と大変な?)過去が述べられている。

読んで印象に残ったのは「女性性」について

社会的な意味での女というのは、おっぱいがついていることでもなければ、おしりが丸いことでもない。あなたはおっぱいがついているよ、と知らされることであり、おしりを見られることである。そして私たちは一つずつ動作を小さくすることを学ぶ。 

 日本はジェンダー格差が問題視されるようになって久しい。女性差別を解消する方向に社会は進んでいると思うが、もっと根本的な部分で知らず知らずのうちに女性を縛ってしまっているのかもしれないと思わされた。

 また、本文で「客体化」という言葉が出てくるが、この言葉を知らなかったので調べたところ、もう「女性の客体化」について1つ学べたのでそれも書く。性的客体化は sexual objectification(モノ化)から来ている言葉で、対象となる人を単なるモノとして扱うことを指す(女性が男性の性的欲望や快楽のための単なる道具であるという考え)。それには受け身の存在とみなす、意思や感情を尊重しない、他と置き換え可能なものとみなす、壊したり侵入したりしてもよいものとみなす、などといった側面がある。本の中にもあるように「見られる」ことが女性性の重要な要素であるとすると、その見方を望ましくない方向に誘導するような商品や作品は、ジェンダー差別を助長することになってしまう。影響力のある発信者は気をつけなければならないことがよく理解できた。