先生、この「問題」教えられますか?教育変革時代の学びの教科書(石川一郎、矢萩邦彦)感想②

後半もひじょーーに勉強になった。後半の内容としては、「探究的な学び」のために思考の土台となる母語の重要性、発達段階と学び、AIや高性能な機器との共生が前提となる社会で人間に求められる力とそれを育成するために学校・教師がすべきことなど。本出せる人、頭良すぎ。

印象に残ったフレーズ

  • 現在の教育の問題点は、「子供のため」と言いながら、子供を育てる大人の側が主人公になりがちであること。教育の中心は子供であることを改めて認識する必要がある。
  • 仏教哲学では「能動」は存在しないとされている。自らやってみたいと思ったとしても何かしらそう思ったきっかけがあったはずで、全ては受動的であるという考え方。主体性が受動から始まると考えることは教育の可能性。
  • 生徒だけでなく先生からも「教科書がつまらない」という声を聞く。教科書が誰にとっても面白いものだったら教師はいらない。教科書を面白く見せるという部分で教師が活躍できる
  • 道徳は外側からの規定、倫理は内側から思考して自己決定していくこと。結果として自分軸が生じる。
  • ロッコ問題を扱って問題になった小学校もそうですけど、覚悟を持って「僕はこの学びが必要だと思ったので、こういう風にやったんです。」ということを堂々と説明できるかどうかの問題だったりする。生徒に意図が伝わってなかったとか、自分自身が哲学を持ってなかったとかいう話で、扱うかどうかの問題ではなかったと推測できる。
  • 「やる意味あるの?」と言われたとき、「私はあると思います。なぜなら…」というのがあればやれば良い。ちゃんとそれを伝えた上で、反対意見や不安があれば話し合えば良い。「まぁやることになってるからとりあえずやる」が一番ダメ。カリキュラムのせいにしちゃって主体的でも対話的でもない。教えることを編集する能力が足りない。
  • 「やらねばならぬ」ではなくて、「こういうのを知ってると、こういうのがあって面白いんだぞ」っていうスタンス、これが今の学校の先生にはないんじゃない?
  • 「テストに出ないことばっかりやって責任が取れるのか?」とか言われて「じゃあテストに出ることばっかりやって責任取れるのかよ」って。

 

この本で重要とされる力(今後育てるべき力)を育もうと考えたとき、共通の性質を抽象化し統合する、抽象的な結果を具体的な例で考えてみる、問題の構造を捉えるといった部分において、比較的直接的にアプローチできそうかなという感じがする。あとは言語によって説明することもわりと取り入れられそう。ただ、数学の問題にはたいてい答えがある(答えのない問題を扱うのは難しすぎる)ので、答えのない問題を議論するみたいなのには向かないかもしれない。(少し難しめの)1つの問題を何人かでやんややんや言いながら解くというのも良い勉強になりそうだが、無理そう…?純粋に数学の良さを感じさせるなら1つの結果にむけて理論を積みながら学んでいく大学のゼミのような勉強が取り入れられたら良いのだろうけど、これもフツーは無理よね。
どのような教育が理想で具体的にはどうすればよいか考え、追求する姿勢を持つことと自分自身をアップデートしていくこと。育てたい力を教師自身が実践し、身につけ、子供たちをナビゲートすること。教師の力が必要だし、教師が力を発揮できるような環境も必要と感じる。けど実現できれば、おそらくは素晴らしいのだろう。

先日Twitterで「小学校教育は風呂敷を広げすぎた」というようなツイートを見かけた。本当にその通りだと思う。深い学びを標榜するなら学びの範囲はある程度狭めなければならないはず。その辺のバランスも今後の課題であるように思う。引用部分にもあるように「子供ファースト」の視点で。