いいなと思った言葉

  • 受動的な主体性

世の中の流れとかに身をまかせつつ, その中で自分で判断し行動していくこと

  • 主体性は受動的なきっかけから生じる
  • 夢というより志を持つ

将来の夢と言われると職業を思い浮かべるが、どのように生きていきたいかという思いを持つことも重要。志を持っていることで次第にやりたいことも見つかるはず。

  • 幸せ(幸せとは何か?)になるために頑張る。それなりに幸せになったら何のために生きる?
  • 「君たちが数学科で習った内容は、40年に私が数学科で習った内容とほぼ変わりません。このように時代の流れに影響を受けない学問は、どうやら数学を除いて他には無ようです。このことを君たちは誇りに思って良いのです。そしておそらく40年後も数学科の学部で習う内容は今とそれほど変わらないでしょう。この話を聞いて何だかつまらないなと感じるかもしれませんが、実はすごいことなんじゃないかと私は思うんです。

1度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 経済編(山崎圭一)

学生時代ムンディ先生(著者)のYoutubeの授業動画にめちゃくちゃお世話になったので、一度読んだら忘れないシリーズは世界史、日本史も買わせていただいている。その特徴であるストーリーを意識した解説はそれまでの歴史のイメージが大きく変わった。地政学を学び始めて、その瞬間その瞬間の出来事には何かしらの合理性があることに気付いてから歴史の見方が変わったのだが、その理解の深まりにこの本たちも一役買っている。ここんとこ経済や社会のシステムに興味があって、3冊目である本書が経済編というのはめちゃくちゃタイムリーだった。物事を理解するには1つ1つの事象を追いかけるよりも、その根元に流れる根本原理を理解し、それを土台に個別の事象を捉えていくということが重要だと思う。人間の根本原理は「食べていく」ということだと思うが、それは詰まるところ「食べるものを得る」ための活動、および「必要物資を手に入れる」ための活動である。そしてその延長により良い暮らしを欲するという欲求があり、歴史上の出来事はそれを達成するための活動として理解できると思う。その時代のヒトとモノとカネの動きである「経済」を考え、ヨコの繋がりを理解しようというのが本書の狙いである。世界史の問題で同年代に起こった出来事を選べ的なのがあるとき、いちいち年号を覚えてないのでテキトーに回答していたものだが、経済的な結びつきを理解することで今度こそその瞬間の世界の様子を把握したい。1つ1つの解説もとても勉強になったのだが、全部書いているワケにいかないので、以下なんとなく全体として言えそうな、現代にも通じていそうなポイントを示す。

  •  物々交換の時代から硬貨が生まれそれを使った取引にシフトすることになるが、その影響は大きく「商売がやりやすくなったこと」と「貯蓄できるようになったこと」。貯蓄は貧富の差をもたらした。
  • 商売の範囲の広がりに伴って世界は一体化していった。世界の一体化したことで不況が連鎖する世界になった。
  • 何かしら(すごいリーダーが出てくる、いい仕組みがある、地理的な好条件など)で力を持った国が膨張する、あるところで膨張が止まる(または外部からの圧力が生じる)ことで膨張している間うまくいっていた仕組みがうまくいかなくなり衰退する、というのは歴史全体でよく見られるパターン。
  • イギリスで産業革命が世界に先立って達成されたのは、大西洋の三角貿易による資本の蓄積と農業革命による人口の増加と農地を追われた農民が労働者になったことで豊富な労働力が生じたという背景がある。産業革命によってモノがたくさん作れるようになったが、その代わりに作るための材料を手に入れるため、作ったモノを売り捌くために植民地の取り合いが生じ、帝国主義につながっていく。(生産力の増大は売れ残りを抱えるリスクと隣り合わせ)(効率よく生産するための分業)世界を分割し終わった後は他国から奪うしかなくなる。

 第二次産業革命以降、現代に至るまでの企業の姿は、先に巨額の借金をして商品を生産し、「借金を返すため」に飽和した市場で競争し、商品が売れ残ると借金が返せずに業績が悪化する」という姿。

  • 金本位制(いつでも金と交換できる保証つきの紙幣を発行する仕組み)のメリット:金同じく金本位制をとっている国との貿易がしやすい(対応する金の重さで取引すれば良いため)、デメリット:戦争が起こったとき、人々は持ってる紙幣を金と交換しようとする(国が消滅すると金と交換してもらえなくなるため)、一方軍需物資の買い付けで国外に金が流出する。金本位制の国が手持ちの金を失うことは国の財政が破綻することを意味する。また急にお金が必要になっても紙幣が印刷しにくい。金本位制は戦争に向かない。そこで列強諸国は金本位制から離脱していった。
  • 不況に陥ると、自国の製品は売れるようにしたいが、自国製品が売れなくなるのを防ぐため外国製品には関税をかける、「売りたいけど、買わない」閉鎖的な状況が生まれる。

こうしてみると世界は何度も不況に襲われ、それを打開するためにいろんな策が講じられてきたことがわかる(多くの場合それは戦争、および戦争につながるような行為)。そして不況というのは需要と供給のバランスが崩れることだと理解できる。(モノが足りなくなるインフレ、モノが余っちゃうデフレ(豊作不況という言葉を知った))(リーマンショックのような金融機も、投機や投資家のマネーゲームによって本来の価値とその瞬間の価値が乖離することによって引き起こされる。)また、資本主義経済は消費される量が減るとうまくいかないシステムだということができる。(先に作った商品を売り捌く必要がある)。日本ではデフレの脱却が叫ばれているが、生産力が高まり市場が一定飽和状態にある現代ではデフレ方向に進むことは自然なことのように思える。

前回の資本主義の限界を感じさせてくれた本とつなげて考えると、やはり資本主義はあまりにも危うい気がしてくる。一方で歴史を眺めてみると、世界は順調に順番通りに段階を踏んでここまできている感じがする。資本主義の行き詰まりがささやかれるようになった今、「資本主義からの脱却」は世界にとって自然に訪れる次のステップなのではないか。

人新世の「資本論」(斎藤幸平)

里山資本主義のような街づくりに興味を抱いていたところ、著者の斎藤さんがログミーの記事でその路線でいい感じのことを言っているのを見つけ調べてみたところちょうど新刊が出たばかりで、しかも本屋で何冊か気になっていた本のうちの一冊だったことが判明し即購入。非常に内容の濃い本なので網羅的な感想は諦めて資本主義批判のところを中心に書いておく。その部分だけでも勉強になるし、「資本主義からの脱却」という方向性で進んでいく他にないという気持ちにさせてくれる。

タイトルの人新世(ひとしんせい)とは、人類が地球を破壊し尽くす時代(現代社会)のことを指す。資本主義が無限の経済成長(価値の増殖)を望んでいることは以前も書いたが、それにより引き起こされる気候変動による影響は無視できないものになっている。また先進国の豊かな暮らしはグローバル・サウスからの労働力と自然資源の収奪により成り立っている(このグローバル・ノースにおける大量生産・大量消費型の社会を「帝国的生活様式」と呼ぶ)。

そこで著者は晩年のマルクスの思想に活路を見出そうとしている。マルクスといえばソ連や中国の一党独裁とあらゆるモノの国有化というイメージが先行する。また若きマルクスは生産力至上主義者(資本主義の発展→格差の拡大、競争の発生→資本家たちは生産力の向上を目指す、ところが労働者にはその商品を買うだけのお金がない→過剰供給による恐慌の発生→労働者階級による社会主義革命)であった。そしてマルクスは「進歩史観」(資本主義のもとで生産力をどんどん高めていけば、あらゆる問題が解決される。西欧の方が生産力が高いので、他のあらゆる地域も西欧と同じように資本主義によって近代化を進めなければならない「ヨーロッパ中心主義」)の思想家であるという認識が一般的で、エコロジー思想と相容れないということでマルクス主義は衰退してきた。ところが晩年のマルクスはそれらの思想と決別し「脱成長コミュニズム」という西欧資本主義を真に乗り越える構想に至っていた。収奪と負荷の外部化と転嫁によって、グローバル・サウスを犠牲にしながらグローバル・ノースが豊かな生活を享受してきた。資本主義のグローバル化が地球の隅々まで及んだために収奪の対象となるフロンティア(安価な労働力と安価な自然)が消滅、そうした利潤獲得のプロセスが限界に達したために「資本主義の終焉」が謳われるまでになっている。本書はそんな時代を乗り越えるための道を示している。全人類読むべき本。まじでこの本の通りにすべき!!と思ってしまう1冊。

上で述べたように資本主義は人間と自然から掠奪するシステムである。危機が迫る中期待を集める政策プランに「グリーン・ニューディール」(エコな社会に向けた大型財政出動、投資)がある。エコな社会への移行と経済成長を両立させるようなアイデアであるがそれはうまくいかない。(グリーンな技術は、生産過程まで含めるとそれほどエコではない、結局問題を別問題へ転嫁するだけ。技術の進歩は環境負荷を増大する)よって経済成長を諦めなければならない。となると次の問題は資本主義システムを維持したまま脱成長が可能かどうかだが、それも不可能である。資本には際限がない、山火事が起これば火災保険が売れ、バッタが発生すれば農薬が売れる。最後の最後まで利潤獲得の機会を見出していく。環境危機を前にしても資本主義が自ら止まることはない。ということで環境破壊を止めるには資本主義を私たちの手で止め、脱成長型のポスト資本主義に大転換するしかないということになる。

そもそも資本主義のシステムに則って日本はこれだけ発展したのに貧しい人(低賃金、長時間労働、ローンなど)が多い。マクロでの成長によってパイを大きくし、大きくなったパイを再分配する、という仕組みのはずだが、どれだけパイが大きくなれば人々は豊かになるのだろうか?資本主義はGDPの増大を目指してきた、だが万人にとっての繁栄は訪れていない。

とまぁ色々あって資本主義への批判へと到達する。ここまでですでにお腹いっぱいといった感じがする。ここからどのような社会を目指していくべきかという話になっていくが、疲れたので割愛する。ポイントは「コモン」を共同管理し潤沢さを回復すること。(潤沢さは(人工的)希少性が価値になる資本主義の天敵。満たされないという希少性の感覚こそが資本主義の原動力)脱成長コミュニズムの柱①使用価値経済への転換(資本主義社会においては価値の方が重要、売れればよし)②労働時間の短縮(金儲けのためだけの仕事を減らす)③画一的な分業の廃止(労働を退屈なものにしない)④生産過程の民主化(意思決定速度の減速)⑤エッセンシャルワークの重視

これから世界が目指すべき方向性が一気に見えてくる本だった。里山資本主義の本と共通することは本当の豊かさを追求しようということだと思う。そしてそれは「足るを知る」ことだと思う。値段をつけ売買できるようにすること、利益を重視した活動をすることから歪みが生じている部分には市場経済の限界(それをお金で買うか?)とのつながりも感じられ、その部分の理解も深まった気がする。

冒頭の部分でSDGsは現代版民衆のアヘンという言葉がぐさっときた。世界各地で運動が実際に起きているところもある。グレタさんのことも正直小馬鹿にしているところがあったがこの本のおかげで認識を改めることができた。あの子はこの本で紹介されているようなことに気づいていたのだ。これからも人類が存続していけるように多くの人の思考と行動が変わっていくことを望む。

菅新首相が自助という言葉を使ったときに多くの反発の声が聞かれ、これは叩かれても仕方ないかな〜と感じていたが、この本を読んで、現実的にはこれからはコミュニティによる自助(と共助)を目指していかなければならないと思い直した(政権がそこまで考えているかは知らない)。コロナという危機に見舞われた日本は10万円を給付することに多くの時間とお金が費やされる、だが市民もお金を失うと生きていくことができないので待つしかない、利益追求のため工場を海外に移転したためマスクが手に入らないなど、コロナ禍は迫りくる気候危機が到達する前に社会の歪みを露出させてくれたチャンスと捉えないといけない気がしてくる。変わるなら今しかない。

死の教科書-心が晴れる48のヒント-(五木寛之)

「死」をどのように捉えるか、ということは生きていく上でとても重要だと思うし、その集団がどのような死生観を持っているかは重要な要素になると思う。今の(日本)社会は死を過剰に遠ざけているような気がしている。最近コロナ対策と経済のバランスがテーマとなることがよくある。その時にコロナウイルスによって数百人の死者が出ている、一方毎年2万人が自殺で命を落としている。モチをつまらせて死ぬ人もいるし、交通事故で亡くなっている人もいる。コロナ対策によって救われる命と自殺によって失われる命を天秤にかけるような議論がたまに見られる。明確な正解はないと思うが、死ぬということをもう少し真正面から受け止めなければならない、死を意識して、身近なものとして付き合っていく必要があるように思う。ということで「死」をテーマにした本を選んでみた。

内容は死についての48の疑問に、自分の幼少期の記憶(戦時中〜戦後の大陸からの引き上げ)、あるいは仏教や偉人の言葉を引き合いに出して答えていくという内容だが、んーあんまり面白くなかった。フワッ、サラッ、チョンチョン、て感じで。てことで別の本を読んでみたいと思う。

里山資本主義(藻谷浩介)

大学のエネルギー問題についての講演で「里山資本主義」という言葉を聞いた。私は田舎の出身で大学を卒業した後は地元に帰ろうと思っているのだが、田舎と都会の格差は顕著でそれをなんとかできないか、と思っていたところだったのですごく興味が湧いた。講演で紹介されていたのは木材のバイオマス利用(森林の環境保全には手入れが必要で、それで出る木屑などを利用して熱エネルギーを得ること、本書でもいくつか例が紹介されている)、農地での太陽光パネル設置(1箇所で作った電気を行き渡らせるよりも、分散して作った方が何かあったときに対応しやすいことが本書でも触れられている)、瀬戸内海の島における活動の紹介(この本でも島での取り組みが紹介されている)などで、田舎は廃れていくしかないのか…と思っていた私にとっては希望を抱かせるような内容であった。そんな流れでこの本を読むことにしたのだが、目からウロコが落ちまくる内容で講演で感じた希望がさらに強化されることとなった。今まで感じていた(そして現実にもそうである)田舎の没落は「マネー資本主義」の枠組みで言うと正しい。都会と同じやり方では都会に勝てないが、都会と違う(マネー資本主義とは違う)仕組みで豊かな暮らしを営んでいける。

里山資本主義」とは、お金の循環が全てを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを構築しておこうという考え方だ。

本で様々な取り組みが紹介されているが、どれも魅力的でこんなふうに生きていきたい、こんな地域を目指したいと感じさせるものばかりであった。特にそこで紹介されている人の(特に高齢の方の)イキイキ度合いは、将来の自分もこうありたいと思わせるものだった。里山資本主義的な取り組みの例だけでなくマネー資本主義のマズさや、日本の経済の現状についても述べられており、その部分も非常に勉強になった。金融政策によるデフレの脱却や輸出に有利な円安を目指すといった主張を当然のように受け入れてきたが、そうではないと主張する著者の意見を読んでハッとした。これからの日本を考えていく上で読むべき一冊であると思う。お金で測れない価値という観点は以前読んだマイケル・サンデルの本とも繋がり、とても興味深かった。

  • 将来の成果のために今を位置付けるのが今の経済。それではいつまでたっても現在が手段になってしまう。
  • 市場なるところで売ってお金と交換しなければならない、という常識にとらわれている人は、お金に換えてしまうと失われてしまう価値があることに気付いていない。
  • 外に出ていたお金が地域を回る。見かけ上経済活動は小さくなるが豊かになっていく。手に入る豊かさとは金銭的なことだけではなく、楽しさや誇りといった副産物が収穫されていく。
  • お金をかけずに手間をかける。お金の力ではなく人間の力(あとは地域の力、地球の力も)。
  • 社会が高齢化するから日本は衰退するという考えはマネー資本主義の枠組みでは正しいかもしれない。しかし、マネー資本主義の限界を自覚しつつある日本が、里山資本主義的な発想を取り入れ、明るい高齢化社会の先頭をいくことができる。
  • 新しいものをどう手に入れるかという「所有価値」から、今あるものをどう使うかという「使用価値」へのシフト。
  • スマートシティもただ便利なだけでない技術、儲け以上に理想が大事で「最先端版里山資本主義」と言える。

田舎が貧しいのは外部からいろんなものを買っているからであり、地域で生産したものを地域で消費する仕組み、すなわち地域で豊かさを循環させる仕組みを作ろうというのが根本的な思想であると理解できた。そうすることで何かあったときのリスクヘッジにもなるし、地域のコミュニティに参加することで人とのつながりもできる。そのような安心感がそこに住む人々の満足感を高める。

日本は災害大国である代わりに豊かな土壌を持つ。とりわけ人口の減少によって余っている田舎の今活用されていない森林や空き家、農作放棄地がその土地の武器になると聞けばなんかやっていけそうな気がしてくる。日本はオワコン的な主張もたまに聞くが、この本を読むとこれからも全然やっていけるように感じる(シン・ニホンのときとは違った形で)。それだけ聞くといいことづくめのようだが、見かけ上経済は縮小してしまうという(マネー資本主義の立場からすると)問題点がある。その部分の発想の転換(あるいはそこに目がけた技術開発)によって金銭的な豊かさだけでない、豊かな暮らしができる日本になるといいなあ。と同時に、昨日読んだ本の残像が残っていたので、そのような活動をしている会社の株は買いなのではないか?と思った。

ビジネスエリートになるための教養としての投資(奥野一成)

「これからはただ貯金をするだけではなく投資によって資産形成を目指すべきだ」という風潮が広がっているように思う。実際、超低金利時代に銀行預金しててもお金は増えないし、お金の運用によってお金が増えればこんなに嬉しいことはないが、とは言っても手を出しにくいイメージがある。とりあえず本を一冊買ってみようということで本屋に行ったが、投資の機運の高まりもあって本屋にはたくさんの投資関連の本がある。1冊目なので具体的なやり方というよりはもっと大きな理論、マインド、投資の仕組みみたいなものから入りたい、ということでこの本を選んだ(最近「教養」という単語に弱い)。

この本でまず述べられているのは、投資をすることだけではなく投資を通じてビジネスを学び、労働者のマインドから抜け出し投資家のマインドを持つことが重要だということ(この本では労働者2.0を目指そうという標語が掲げられている)。労働者が自分の労働力を差し出して「時給×時間」の給料を得るのに対し、投資はお金を預けてその会社に働いてもらう、会社がうまくいっていれば、他人が働いた分の収入も手に入れることができる。日本では投資についてネガティブなイメージ(働かずにお金を得ようとしていることに対する疑念)があるが、投資とはリスクを負って資金を投じ、そのおかげで達成された問題解決の見返りに利益を得ること、大変さは変わらない。 

強調されているポイントとして投機と投資の違いがある。前者は細かく売買して差額を儲けようとすることであり、それは労働と変わらない。成長するかを見極め、一度買ったら長期保有するウォーレン・バフェット流の投資を目指すべき。選ぶときのポイントは構造的に強靭な会社(付加価値の高い産業、長期的な潮流、圧倒的な競争優位性(参入障壁の高さ))を選ぶこと。

 投資が必要だと主張する背景には日本が貧しくなっているという事実がある。外国が株価の上昇に伴って資産を増やしているのに対し、日本人は銀行で眠らせておくだけで資産がそれほど増えていない。なるべく利益を抑えて安くモノ・サービスを提供しようとするデフレマインドと相まって経済成長に伴った賃金・物価の値上がりが起こらない日本は、外国の観光客から見ると安い観光地になっているという分析があってハッとした。

この本は投資の本というよりは投者の側から見た経営の話と言っていいと思う。日本企業の発展途上国型のビジネスモデルの行き詰まりや、AI時代にデータを持つ会社に優位性が生じる(逆にアプリ開発などは参入障壁が低い)ことなど経営の本としても良い本であるように思った。(実際に、投資力=経営力であると言ってよい。)投資の具体例も紹介されており、著者の投資の考え方のポイントもわかりやすく紹介されていると思う。資本主義の世界を見る目が育つような良書。 配当が高い \Leftrightarrow 投資に回せたお金を先食いしちゃってる、長期的に見ればお互いにとって損というなるほどな意見もあり、もちろん投資の知識も得ることができる。

ここのところ資本主義は破綻しそうみたいな本を読みがちだったので、資本主義のど真ん中の本を読んだのはタイミングとしても良かった。やはり重要なのは(徹底的な企業評価によって、投資は知の格闘技と表現されていた)会社が「成長」できるかどうかであり、投資家目線ではそれを見抜けるかどうか。成長が続く限りはうまくいきそうだが、一方でお金がお金を生む仕組みにはやはり危うさが伴うように見える。一定資産を持つ投資家にとってはより成長の見込める会社に投資していけば資産が増えていくのだが、それに選ばれなかった会社で働いている人は苦しくなっていく。(ただし競争力のない会社が淘汰されていくのは当たり前のこととも言える)そこら辺がうまく調節されればよいのだろうけど。

ともあれ、しばらくはこの資本主義の中で生きていくことになるので、投資家マインドを身につけお金にお金を稼いでもらえるようになれたらいいなあ。とはいえこんなガッツリ評価した上で投資するのは大変そうだから、ギャンブルに毛が生えたような投資がせいぜいなのかなあ。本気でやるならこの本のようにやるのが良いだろうから、1つの考え方の基準を得たということで、も少し勉強してみたい。

それをお金で買いますか?(マイケル・サンデル)

”今から正義の話をしよう” で政治哲学に出会い、現代社会においてもかなり重要な考え方なのではないかと思い、その本の続編ということで読むことにした。「善い生き方とは何か?」を考えることが重要であり、そのような道徳的な議論を避けて人間社会を語ることはできない、ということが著者の主張である。それに引き続いて、今回の本のサブタイトルは ”市場主義の限界” となっている。「市場のある」社会から「市場社会」になってしまっている、すなわち、あらゆるものに値段がつけられ、その値段で買うことに同意のあるものがそれを手にできる、あらゆるモノがカネを通じて取引される社会になってしまっている。この「市場の原理」が蔓延する中、値段をつけない方が良いものもあるのではないか、あるとしたらそれはなぜか?ということを考えるのが本書のテーマである。その題材として多くの例が挙げられている、行列の割り込み、読書に対する報酬、温室効果ガス、生命保険、命名権など。マイケル・サンデルの本を読むまでは、私もかなりの程度市場主義的な考え方に染まっていたと思うが、その考え方が万能でないことを認識することができた。現代社会の多くの人にこの認識が広まれば、また一つ人間社会が成熟することになると思う。

全てが売り物になることについて、著者は2つの観点からこれを批判している。1つは「不公平さ」によるもの、もう1つは「腐敗」、値段をつけてしまうことで価値を貶めてしまうことによるもの。不平等さの方はかなりわかりやすいと思った。より多くのものがお金で手に入るようになればなるほど、お金を持っていることが重要になる。持っているお金の量であらゆるモノ、コトが決まってしまうような社会は望ましくない、という主張だ。

ここで1つの例として行列の割り込みを取り上げる。長時間行列にならばないと手に入らないものがあったときに、それが欲しいお金持ちは、人をお金で雇い自分の代わりに行列に並ばせ、直前で入れ替わり、並んだ分の代金を支払う代わりに、長時間並ぶことなく手に入れる。市場の原理に従えば、この一連の流れは極めて自然である。モノが欲しいが並びたくない人と、並ぶ時間がある貧しい人がいて、双方の同意のもとに行われ、一方は行列に並ぶことなく目的のものを手に入れ、一方は並んだ分のお金を手に入れる。お互いにメリットだけが生じ、一方で、周りの人を含めデメリットを被る人は存在しない。こういうやり方が横行すれば、持っているお金の量がモノの手に入りやすさに直結し、貧しいものにとって生きにくい世の中になることも容易に想像できる。なお、行列は時間を多く持っている者に有利であり、平等感はあるが、これも1つのやり方、欲しい者にモノを分配する方法の1つに過ぎない。より長く並ぼうと思える人がこのモノを手に入れるのにふさわしいと評価しているのであって、より多くのお金を出す人がこれを手に入れるのにふさわしいと評価するのと同じ理屈である。

市場の原理を覆すのは難しいことのように思われる。値段をつけない方がいい理由をはっきりと示すことは難しいし、人によって考え方が違うかもしれない。ただし社会がどのようなことを「善い」とするかということの重要性は間違いないと思う。”かつては金持ちもそうでない人も隣に座って一緒に地元のチームを応援していた。今では席ごとに値段が振り分けられ、お金持ちはVIP用の高級席で観戦するようになった。” という話があったが、これを聞くと確かに市場の原理の膨張が何か大事なものを失わせているような気がしてくる。

ちょうどアメリカ大統領選挙の真っ只中でニュースが盛り上がっている。格差や分断を容認するようなトランプのやり方に国民がどう判断するのか注目だ。この格差や分断に対して市場主義は一定の役割を果たしているように思う。今の社会のままではいずれ世界が立ち行かなくなるのではないか、というのが最近の思うことではあるが、その考え方をもう少しクリアにするために、(資源的に)持続可能な社会、目指すべき社会規範(何が善いか?)、どのような社会の仕組みがいいか(経済、法律等含め)、そういったことを議論できる社会、人間を育てるためには、などといったテーマについてもう少し考えていきたい。