それでも日本人は「戦争」を選んだ(加藤陽子) 感想

日清戦争から太平洋戦争までの日本人の選択を中高校生に対する講義という形で述べていくという内容。難しい。けど面白い。少なくともほとんどが事実の羅列である教科書だけで本当の意味で歴史を学ぶことはできず、その時代の背景、主要国、主要人物の思惑、大衆の感情など様々な要因を考慮しなければ、そのとき何があったのかを理解することはできないのだと感じた。そしてあとがきの

我々は日々(無意識に)判断や評価を下している。そのとき、無意識に過去からの類推や過去との対比をおこなっている。類推され、対比される歴史的な事例が若い人の頭の中にどれだけ豊かに蓄積され、ファイリングされているかが重要だ。

に共感した。

実際の歴史の検証に入る前の序章「日本近現代史を考える」で印象に残ったフレーズ

1930年代の日本と1860年代のアメリカには意外な共通性がある。こういった共通性は、ある一定の視角から眺めていなければ見つけることができなかったわけです。

巨大な戦争の後には基本的な社会秩序の書き換えがなされる、というルソーの真理に気付けるかどうか。

歴史的なものの見方というのは、例えば、なぜ310万人もの人が犠牲となる戦争を起こしてしまったのか、なぜ第一次世界大戦の悲惨さを学ぶことなく戦争は繰り返してしまったのか、という「問い」に深く心を衝き動かされたときに初めて生ずる。つまり悩める人間が苦しんで発する「問い」の切実さによって導かれてくるものなのだと私には思えるのです。

歴史的なものの見方ができるかどうかという場合、こうした歴史的なものの見方に気付けるかが問われているところになります。では、どうしたら、こうした視角、歴史的なものの見方ができるようになるでしょうか。この点こそが歴史という学問の最も肝要な部分です。

日本史の学習は「将来きっと役に立つ」といっても、若い心の琴線に触れることはできない。中高生のハートをつかんで日本史の方に向かせるには、歴史上に生きた人々が発した、根源的な「問い」が生まれた現場を見せるところからスタートするしかないのではないでしょうか 。

歴史家が本当に関心を持つのは特殊なものではなく、特殊の内部にある一般的なものだ。

 1章から5章までは日清戦争から太平洋戦争までの歴史が解説されている。社会のありよう、軍の思惑、国際情勢…など。知らなかったこともたくさんあって勉強になった。やはり、日本が突っ走り悲惨な戦争が引き起こされた。2度と戦争はしてはいけない。というだけでは本当に戦争を理解したことにはならないと思う。

中高生と「戦争を考える」ことをするため、先生が学習者に戦争を考える「材料」を与え、その歴史の「見方」を提供し、考えさせる、という学びの形が素晴らしいように思った。歴史のことはもちろん、それ以外にも勉強になるいい本だった。

結局本の帯ってのはウマいこと書かれているんだなぁ。

戦争はとにかくしない方がよい。それは私ども世代の皮膚感覚だ。その避け方をこの本はいろいろと考えさせてくれる。